「仏恩抄」は現代の歎異抄 
 

  仏恩抄は私の師匠である三和先生(法名は恵心院釈聴義と親鸞聖人より頂いています)の著書であります。

現代仏教の近代化により曲げられた信心に対する正しい教えを広めなさい、とみ仏(親鸞聖人)より使命を預かり顕されたものです。
  文章は毛筆で書かれています。

所々に必要な文献を引用され、親鸞聖人より賜った言葉を軸に自身の信心獲得までの道のりが示されています。

また、明治維新以来入ってきた西洋哲学の影響を受けた真宗の近代教学を異安心として糾弾したものです。

元本願寺勧学 故・加茂仰順師に家宝にしますとまで言っていただいた大著です。


   ・仏恩抄は先生が信心を頂いてから書かれたもの

先生は西本願寺の宗学を学ぶにつれ、同じ本願寺でも信心の内容が著しく変化している宗派に対して、非常に違和感を懐きました。

その異安心を正すべく書かれたものです。

そのいわれは親鸞聖人より「ままならぬほど、糾すべし」とのお言葉を賜り、仏恩抄として自費出版されたのです。

そして本願寺派に14,000部と真宗大谷派には9,000部と特別にもう一冊の小冊子「序文」を送りました。

なお、その折失礼にならないように、菓子折りを同送されたのでした。

A4サイズ・280頁もの大著を自費出版するだけでも大変な費用ですのに、さらに菓子折りまでつけられたのには大変驚きです。

まさに一大事業でした。

それも僅かな期間にやり遂げられたのでした。

その後本願寺のスキャンダルとして有名な事件が2,000年前後に起こりました。

その折、「本願寺基幹運動の実態(285頁)」を顕され、当本願寺にも獅子身中の虫がいるということで、糾弾されました。

その時に本願寺の末寺10,000ヶ寺にも同様に送られました。

生半可な気持ちなどでは決してできない事業です。
  

 

もし神仏の加護が無ければ到底できなかっただろうと、今では仰っています。

現在(2018年)ではそのころのことを懐かしく思い出され、本願寺改革は終わった、と仰っています。

本願寺はもともと勧学寮がしっかりしていますから、信心に間違いはありませんが、しっかり勉強していない方の中には、異安心の方もいらっしゃたようです。

その方々が本願寺を乱すことが無いようにと自ら筆を執られたものでした。

この当時の本願寺のスキャンダルは宝島社出版の「本願寺のスキャンダル」に詳しく載っています。

ただ絶版となっていて、手に入れるのは難しいですが、先生の著書の中に同書の主な部分をコピーしたものが引用されており、十分当時の騒動の激しさや内容が理解されます。
 

この時、先生が立ち上がり、末寺に送られた書物を読んだ、心ある僧侶からは激励されたことも載せられています。

本願寺にとって外野からの叱責は意にがいさないかもしれませんが、内側からの解決が難しい状況だったのでしょう。

とにかくすごい先生です。

信心については一歩も譲らない厳しい先生でした。

それは親鸞聖人からの直接の依頼があったから、できたとも仰っています。

ところで、どうして親鸞聖人から直接使命を受けられたのかという疑問が出てまいりますと思います。

そのことは仏恩抄をひも解くときに説明してまいります。

今回は仏恩抄を顕された意義と背景について簡単に書きました。