仏恩抄は現代の歎異抄

 
これは三和先生が東本願寺の寺々にお送りされた「仏恩抄」と一緒にお届けされた小冊子の表紙です。

ページをめくりますと、続いて仏恩抄を家宝とまで言っていただいた加茂先生の写真と返礼の手紙を紹介されています。
 

     故加茂仰順法師
平成元年4月 本願寺勧学

啓伯
ご丁重なるお手紙と、お原稿のすべてを
拝受申しました。誠に誠にご立派なものでございます。
私の手紙を入れて下さいますとのこと、あのままでおよろしく存じます。なにとぞ、なにとぞ、今後ともこの道を、ご精進あらせられますよう念じ奉ります。
   加茂仰順
6月23日    奥方さまへおよろしく
三和義彦先生 侍史

 
   啓伯
梅雨空がつづきます。
「仏恩抄」と御心こもれる「御菓子」をたまわりました。
厚く御礼を申し上げます殊に「仏恩抄」をしづかに、繰り返し拝読させて頂いております。まったくあなたさまには恐れ入りました。 還相の菩薩さまではないかと思っております。(この部分は三和先生が打消しの線をいれています) 敬具
(7月20日)くれぐれも御法体をお大切になされて下さいませ。深く感謝をいたしております。
三和義彦様侍史

(最後の一行のみ三和先生の書き込みです)
「仏恩抄」を繰り返しお読み願います。 合掌  
 

   ではこれから三和先生が歎かれた異安心や未決定の真宗僧侶に送られた「歎き」そのものを見ていきましょう。

拝啓

月日は夢のように過ぎ、この世の無常を感ぜずにはおれない昨今でございます。

ご住職をはじめご家族の皆様にはお元気でお暮しでございますか。

このたびこのように理もなくお手紙を書きお届けしますことをお許し願います。

私は釈聴義と申すものでございます。

現在薬局を経営しておりますが、昭和52年ごろから不思議なご縁で浄土真宗の教えを聴聞させていただくことになりました。

ある日のこと私の店に来て下さるお客様の中に、よく存じておる人ですが、「弥陀の浄土はほんとうにあるのですか?」とお尋ねになり、「近頃の説教は浄土のことはあまり話さないのです」とある寺のご住職が言われたとかで、不信そうなお顔をしておられたのです。

私は何と情けない寂しいことを申されるお坊さんかなとおもったのであります。

それで仏恩抄を書かせていただきました。

お客様とご住職に差し上げましたが、一ヶ寺でも多く、宗祖親鸞聖人様のお言葉をお伝えするのが私の役目と考え下手な文と字でお恥ずかしいことですが送らせていただきます。

宗祖親鸞聖人様のお言葉はまさしく尊く有り難く、言葉では言い尽くせません。

私はおろかな者でございますが、書かせていただきました仏恩抄は仏に誓って真実が書いてございます。

この仏恩抄は現在の世に阿弥陀如来様、宗祖親鸞聖人様、八幡大菩薩、故水谷先生の大きなご協力によってできたものです。

もし間違って正しくない言葉の意があれば訂正を願います。

遠く宿縁を慶ばなくてはなりません。

宗祖親鸞聖人様は弥陀諸縁の宿善と教えてくださいました。

ご住職をはじめ家族の皆さんで読んでくだされば嬉しく有り難く思います。

門徒の方にもお聖人様のお言葉をお伝えいただければ幸いです。  

私も仏教学院(通信教育)平成2年卒業
平成3年得度
平成4年4月教師教修を受けさせて頂きました。

私は寺の生まれではございませんが宗祖聖人様のご恩に報いることがこれからの人生とおもっています。

一人でも多くの人にまこと浄土真宗の人になってもらいたい、まこと往生してもらいたいと心より願って真宗学の勉強をさせていただくのです。

不浄説法は地獄の業です。

不浄説法は絶対に許されません。

教行信証、御文章、和讃、領解文等を宝典として正しく説法しなくてはなりません。

仏は今末法の時代と申され、ご存知のように信心決定させていただくことは難中の難これに過ぎたる難はないと申されています。

仏智の不思議を了知させていただくことは人生の一大事業であります。

浄土真宗は易行道とありますが、お聖教の中には「易往に無人」というお言葉もございます(大経下巻にあります)。

噫 弘誓の強縁多生にも値いがたく真実の浄心億劫にも獲がたし、遇行信を獲ば遠く宿縁を慶べ もしまたこのたび疑網に覆蔽せらればかえってまた曠劫を経歴せん 誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ(教行信証より)

大変失礼かもしれませんが ご住職にしてさっぱり浄土真宗の教えが解せず信心決定なく 目的もなく 過ごしておられますご住職があるように思います。

仏教学院(通信教育)を出られた僧侶も同じであります。

末法の時代とは言え誠に残念なことでございます。

御同行御同朋といえば浄土真宗の寺は西・東本願寺で壱萬九千ヶ寺もありますが、それくらいあっても真の浄土真宗の人は大変少なく、行信を得る人はほとんどおられないのが現実だと思います。

宗祖親鸞聖人様はお嘆きになっておられますよ。        

私のような未熟者が失礼を承知でこのように書かせていただくのも宗祖親鸞聖人様のお慈悲が感じられて、どうしても書かねばおられないからです。

無碍の大道を歩む人がいなくて自力と雑行雑修のひとばかりです。

仏弟子である僧衣を着て「虚しく信施を食える者地獄に落ちる」と往生要集に説かれております。

人々を導く立場にある人が阿弥陀如来様の浄土往生の教えを伝え導くことができなければ結局は責任をとられて地獄にお入りになるのでしょうが、気の毒なことだと申さねばなりません。

死ぬときに大きな後悔をしなければならないのです。

世の人々は世間のことのみ執着し、地獄の道を急いでおります。

何とも哀れなことであります。

このような世の中で因縁とはいえ宗祖親鸞聖人様の教え浄土真宗を人々に伝えることは至難であります。

それでも熱心に浄土の法 弥陀の本願を伝えて努力してくださるご住職もあります。

有り難いことですね。

私も仏恩報謝の為自信教人信を実践 現在仏恩抄本願寺派壱萬ヶ寺の末寺へ謹呈すべく努力しております。

いずれは真宗大谷派の各寺へ謹呈する予定でございます。

これにて失礼しますが寺に住まれる方は仏に因縁深い人と私も尊敬申し上げております。

仏弟子としてますます仏恩報ぜられますことを心より念じ申し上げます。

大変失礼しました。お許し願います。

ご住職様
ご家族様

   釈聴義

ここまでは本願寺派への手紙ですが、この手紙の内容の後に東本願寺のお寺様あてに次のように続きます。


この手紙は本願寺派の各寺へださせていただいたものであります
本願寺派全国各寺へ「仏恩抄」を贈呈しました。
(門主、龍谷大学、仏教学院、別院へ贈呈)

真宗大谷派の僧侶の方々に申し上げます「仏恩抄」各寺へ送り、宗祖親鸞聖人様のお手伝いをさせていただき大谷派の寺に贈呈させていただいておりますが、なかなか難儀なことであります。

ご住職僧侶の方々 これが釈聴義の最後の真心をもっていさめる忠告であります。

このままでは多くの僧侶が死んでかならず地獄に落ちることと思います。

覚悟が必要であります。

僧侶であれば命をかけて聞法してください。

疑問のお方は西本願寺にたずねて下さい。

(注)私には仕事があります  合掌 

電話受付しません 悪しからず願います。