「後生の一大事」とは このことであります。

 
真宗大谷派へ送られた仏恩抄と同時に送られた小冊子の4ページ目に地獄のことが載せてあります。



 ここに 意義深い1つのお話があります。それは昔、西村法剣和上という方がありました。
和上のお孫さんの憲文さまのお話です。
 大和路を某氏を連れて巡った和上、ある時某寺に止錫した。夜になって某氏は和上の隣室に臥した。

 和上は決して宵から臥床する人ではなかった。夜更けるまでご御聖教を繙いていた。突然某氏は和上の声にハッと眼覚めた。枕元の時計は午前2時を少し廻っていた。和上の部屋に入ると和上は床の間を背にして独眼を据えて端然と座っていた。
「貴公、今のこと見たか」
「いいえ、何も見やしませんが。和上の御声に眠りがさめて御伺いいたしました」
「おれが今声を出したか」
「ハイ余程大きな御声でしたのでしょう。寝込んだら朝まで気付かぬ私が起き上がる程でございますから。アーと、たまげたような御声でしたのでびっくり致しました。なにか変わったことでもあったのでございますか」
「貴公、もっとそばえよれ、実はのう、今・・・。いやもっと夜があけてから話そう。そうでないと貴公がこわがる」

食事がすんで和上は、某氏に昨夜の恐ろしい話をした。
 御聖教の上にウツラウツラとしていると、突然障子がパッと真っ赤になったので、ハッと御聖教から眼を離すと、その時部屋の中に真っ黒なものが飛び込んできた。その黒いものが部屋の隅にうずくまった。形は人間の姿ではあるが、顔面も手足も胴も真っ黒で炭団の化け物のようである。一瞬驚いた和上は、気を静めて「何物か」と誰何した。黒塊は静かに語り始めた。

お恥ずかしいことでなございますが、私はこの寺の5代前の住職でございました。存生の間は名利に耽って出離の大事に気付かず、死して日夜無間の焔に焼かれてかかる姿となっております。住持せる、わずかなる宿縁によって、暫く時間を得て貴僧の教えを乞いに現れました。どうか暫くの間たりともお聞かせにあずかりたい

 地獄の亡者と聞いて和上、一層驚いたが、何とかして済度してやりたいと、忽ちに身の引き締まるのを覚えた。和上は威儀を正して御法話を熱心に始めた。和上は我を忘れて淳淳として弥陀の本願を説いた。ところが始めは神妙に聞いていたが、御法話がすすむにつれて黒塊は、コクリコクリと居眠りをしだした。和上はそのつど畳をたたいて起こすのであった。気付いて我にかえったようになって聴聞しているかと思うとまた眠り出す。叱ってきかせ、起こして話すうちに外の闇の彼方にあたって突如ゴーという音が聞こえたかと思うと、亡者の黒い塊は怯えたように立ち上がって、

「ありがとうございました。いろいろおきかせに預かりましたが、苦患の疲れの為か睡眠の煩悩業のためか、眠くて眠くて浅ましいことでございます。私はもう行かねばなりませんが、私の出て行く姿をどうか御覧にならぬよう呉々もお願いいたします。それではお暇いたします。誠にありがとうございました」

言いも終わらず5代前の住職の黒塊は、部屋から消えた。その時であった。亡者の乞いを容れるべく御聖教の上にうつ伏していた和上は突然眼の前に火柱が立ったので、我を忘れて飛び上がらんばかりに面を上げた。ああそこには何という恐ろしい地獄相が露見していたことか、見てくださるなといったはず。この世にて見ることの出来ぬ恐ろしい劫火の焔が障子一面に燃え上がって、その中に火車の迎えをうけて車上に虚空をつかんだ法衣の僧侶の姿があるではないか。和上、我にもなく驚愕の声であった。・・・「貴公、その時わしは我れ知らず声を出した。それが貴公に聞こえたんだろう。恐ろしいことよのう。貴公居眠らずに御法義を聴聞せにゃあならんぞな」と言われた。


「後生の一大事」とはこのことであります。

ここから三和先生の東本願寺の各寺への挨拶と、続いて大谷派の近代教学に対しての歎きが入ります。


拝啓

真宗大谷派の僧侶の方々に申し上げます。

日々のお勤めご苦労さまございます。

私は本願寺派の僧侶で釈聴義と申します。

実は私が著作させていただきました「仏恩抄」を本願寺各寺などへ1万4千部贈呈しました。

このたび真宗大谷派の僧侶の方々にもお読みいただきたく贈呈させていただくことにしました。

何度も繰り返しお読みくだされば有り難く存じます。

「仏恩抄」はそれだけ価値ある本であるということであります。

ところで大谷派では近代教学と申されるようですが、「お文さま」(高松信英著)読みましたが どうしようもない「御文さま」の解釈であり、仏法(釈尊の教え)又宗祖親鸞聖人様の御教えではありません。

このような本は凡夫の学者のなにもわからぬ虚言であります。

このような御文さま(西本願寺では御文章という)の解釈では宗祖親鸞聖人様の申される「生死いずべき道」すなわち浄土往生(南無阿弥陀仏の浄土)は不可能であります。

真宗大谷派の僧侶は教行信証を読んでおられるのですか?

読まれておれば浄土真宗の真の御教えと違っておることがわかるはずであります。

真宗大谷派は浄土真宗の寺というだけでこんなことでは世の中の人々に迎合した教学であまりにお粗末ではありませんか?

このような「御文さま」の虚言を聞法しただけで満足しておったら死んで無間地獄など三途の河へ落ちて苦しむことになります。

僧侶として大いにご注意を申し上げます。

それから元同朋大学学長の池田勇諦氏の名古屋御坊での講演も これも浄土真宗の真実の教えと大いに違っており、虚言であります。

釈尊の御教えでもなくどうしようもない凡夫のたわごとであります。

無間地獄へ落ちることを覚悟することです。

私のことで恐縮でありますが、30年以上薬局で働きながら、3~10時間仏法の勉強をしてまいりました。

酒も飲まず、趣味も捨て、仏法と薬局の仕事のみの生活であります。

一ヶ所の調剤室は仏法の本でいっぱい 私の仏法の勉強 研究の場であります。

宗祖親鸞聖人様の御教えのおかげで仏法他力の御教えを成就させていただきました。

有り難いことであります。

真宗大谷派の僧侶の皆様どうかこの私釈聴義をご信用下さって浄土真宗宗祖親鸞聖人様 蓮如上人様の真の教学の勉強聞法をしっかりやりなおしてください。

お聖人様は東西本願寺のこと「ままならぬほど正すべきなり」と申されております。


ご忠告であります 信心決定なく金剛の信心なくてはまちがいなく暗闇に入ります。

西本願寺には「現代教学」と申す凡夫の学者の虚言があります。

なさけないことであります。

又私一人で「本願寺派の基幹運動の実態」という本を著作し 各寺へ(1万部)贈呈しました。

改革をしたわけであります(A4で286項)

改革も宇宙(南無阿弥陀仏)より三力たまわりできたわけであります。

三力とは智慧と徳と力であります。

「今人の心むさぼる現世かな」・・・で凡夫の学者の浅智慧には困ったものです。

迷いの凡夫が猿智慧を出して学問沙汰をしてみたり講釈師になると自分も落ちるし 人をもまた落とす恐ろしいことであります。

又説教をして参詣人の心をごたごたに泥田に脚を突っ込ませるようなことをするくらいなら説教も無きに如かずであります。

凡夫の心ではかろう教えでは仏法はないのであります。

京都で私が東本願寺にて買い求め 読んだ本です。

現代の聖典       東本願寺
正信偈の教え      吉田和弘氏
御文勧化録       池田勇諦氏
蓮如聖人 親鸞聖人の教えに生きた人
近代大谷派の教団       柏原裕泉氏
御文さま 東本願寺  高松信英氏
清沢満之 資料編   福島寛隆氏
       講演編   赤松徹真氏
       論文編   その他

仏恩抄の中に真宗大谷派の吉田様の原稿を入れさせていただきました。


中外日報に投稿されのせられたものであります。

次回はこの吉田様の投稿より始めさせていただきます。


今回は私にも同様な経験がございましたので報告させていただきます。

それはもう30年も前のことで、私が製薬会社のセールスをしていたころの、三和先生の店舗在住である大垣市でのことでした。

荒尾から赤坂までを徒歩で移動中のことでした。

うら寂しい細道を歩いて15分もすると赤坂に着けるというすぐ前に、ある神社がありました。

その横道を通りかけると細い道いっぱいに棒切れが横たわっており、通せんぼしていました。

その横を通り過ぎようとしたところ、良く見れば、なんと棒切れではなく2メートルもあろうかという蛇の死体でした。

多分車か何かに轢かれ死んでしまったのでしょう。

恐る恐る、横を通りながら、今晩の夢に出てきそうだなと思ったものでした。

するとその夜明けの朝方まさしく夢を見たのでした。

忽然とあらわれた正体は真っ黒な炭団みたいな姿をしており、ウルトラマンにでてくるバルタン聖人のような格好でした。

ハッとびっくりした私は思わず目が覚めてしまいました。

気味が悪いので動悸がしていました。

こんな時は阿弥陀様にお逢いしたいなーと思いました。

強く強く思ったのです。

いや後で考えると思わされたのかも知れません。

私は目を閉じたまましばらくしていると脳裏に突然阿弥陀様が現れて下さいました。

夕陽を背に空中に立っておられました。

これは西の浄土から来た仏、すなわち阿弥陀様であるということを私に知らせたかったのでしょう。

これは後から知ったのですが、観経で韋提希夫人がお釈迦様から見せて頂いた住立空中尊という現れ方だったようです。

2,30秒ほどでしたが、有難かったです。

その折、阿弥陀様のそばをピューと音がして何かが飛んでいく気配がしました。

多分炭団のような黒い塊が飛んで行ったのでしょう。

このことを思い出すたびに、あの黒い塊は、ひょっとしたらかつての神社の宮司様か、もしくは先の話のように何代前かの住職かもしれないなと感じています。