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ここからは再度三和先生が親鸞聖人様より賜ったお言葉を引用していきます。
昭和62年9月のころに水谷様の家へ訪問したとき 先生から「三和さんに親鸞聖人様からお言葉をお預かりしておりましたので、お伝えします」といわれて教えてくださいました。
お聖人様は伝道の心構えについてご注意くだされた。
私はそのように思いました。
如来の教法を伝える場合、自分の感情を加えて極端に主張したりあまりはしはさむと相手が聞きずらい、如来の教え御心のみをお伝えするようにしなさい。
このような意味ではないかと思いました。
「ある先生が昔から真宗の法話のことをお取次ぎとか、法談という言葉であらわされてきた、いい言葉であると思う。
法話はあくまで仏祖の伝えられた法の心をお取次ぎするものであって、自分の学識や思想を発表し、人の共鳴を博するものではない故に、親鸞聖人も「本典総序」に仏祖の御教えに聞遇した慶びを述べて「聞くところを慶び獲るところを嘆ずる」といわれている。
しかれば我々はあくまで謙敬にみ法の真意を心にいただき、これを讃迎するというほかはない。
かくてどう話すかというよりもどういただいておるかということが根本的な問題である」と申されております。
如来の教法を十方衆生にとききかしむるときは、ただ如来の御代官をもうしつるばかりなり、さらに親鸞めずらしき法をひろめず、如来の教法をわれも信じ、人にも聞かしむるばかりなり・・・というお言葉を私は思い出しました。
三和先生の仏恩抄にには八幡大神さまなどからお言葉を賜っているせいか、
「邪教である神々を信ずる心」このように申されるお方もございますが、この考え方は宗祖親鸞聖人様の教えに背き、正しい言葉の使い方ではありません。
善神である天地の神を冒涜することになり、決してあってはならぬことであります。
そして本願寺中央仏教学院伝道担当の原田先生の文章を引用されています。
本願寺中央仏教学院学びの友より
問 |
私ことで甚だ恐縮ですが主人が剣道をしておりまして今度道場を建てることになりました。
ところが道場には神棚を祭っていない道場はないから神棚を祭ると言い出しました。
私はそれだけは止めてもらいたいと頼んでいるのですが。
私はかねがねお名号を掛ける所を作ってもらいたいと思っております。
主人には信仰心はありません。
全く無信の人ですが、最近は私がお詣りすることについては嫌うような態度はなくなりました。
どのように対処すべきか考え、悩んでおります。
念仏者の立場から私のとるべき態度は、また心の持ち方をご教示ください。
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答 |
この質問はあなたのような立場にある人は深刻な悩みとなります。
真宗では昔から神棚は祭らないという建て前があるので、今のあなたが悩まれるのは当然です。
親鸞聖人の神に対する考え方には二つの面があります。
善神と悪神です。
化土巻には悪の邪神につかえてはならぬと厳誡してあります。
「現世利益和讃」には天神地祇はことごとく善鬼神と名づけたり、これらの善鬼神はみなともに念仏のひとをまもるなり」と神に感謝してあります。
親鸞聖人の教義を見ると廃立門では聖道は権化だとおこしてあるが、円融門では聖道門を阿弥陀の第22願の還相回向の作用としてあります。
そのご消息に「よろずの仏、菩薩、よろずの神、祇、冥道を軽べつしてはならぬ。これらは私たちを本願信仰に誘導する為に、それぞれ因縁を結んでくださったお方であるからその恩を知らねばならぬ」と教えてあります。
その次に天地の神々は仏法者を守ってくださるお方だから「念仏を信じたる身にて天地の神をすて申さんと思うことゆめゆめなきことなり」と申しのべてあります。
真宗は邪神振興や神に対する現世祈りは禁止されているが、祈らずとも守ってくださる仏や神に対しては感謝を教えてあります。
あなたが今後よく聞法し、お念仏の精神に生きていかれたら、いつかご主人もあなたの感化を受けられましょう。
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現在でも自力聖道門でご修行されて居らっしゃる方の中には還相回向でこの娑婆へ帰ってこられているのかも知れません。
昭和六十三年五月三十日
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水谷先生 当方へお越しの折
聖蓮寺の阿弥陀様より頂いた
歌です |
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昭和六十三年六月六日
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阿弥陀如来様 八幡大菩薩様
合作の歌です 水谷先生宅にて |
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昭和六十三年六月九日
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昭和六十三年七月十三日
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昭和六十三年十月十日
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宗祖親鸞聖人様から賜る
「とどめなき 学ぶ姿に
かいあらむ |
昭和六十三年十一月七日
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聖蓮寺へお詣りしてから
水谷先生のお宅にて如来様より
頂く「つもる言の葉
かたらいたのし」
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聖蓮寺の阿弥陀如来様
「鈴虫の声待つ秋を久方の御霊待ちして逢瀬たのしむ」と歌を下さったので 十一月七日に水谷先生と数人で聖蓮寺へお詣りしました。
如来様は水谷先生のお宅にて「つもる言の葉 かたらい楽し」とお言葉をくださいました。 |
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昭和六十三年十二月八日
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平成元年二月二十六日
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平成元年三月二十一日
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平成元年四月八日
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水谷先生宅にて
宗祖聖人様より頂く
親鸞聖人様が筆で心の真言とはっきり書かれるのを見せて頂きました
と申されました。 |
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平成元年四月二十五日
お聖人様から「よみしもと 御法たまわる この身にも」と歌の前の句をいただき 後の句を私の宿題として与えられました。
それで二句作らせていただきました。 |
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平成元年五月十一日
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水谷先生宅にていつものように水谷先生が右の手で私の背中を触られ、お聖人様にお願いしてくださいますと |
畏れ多い事ですが、お聖人様が声をかけて下さり 先生と話してくださいます(私には聞くことはできません)。 |
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水谷先生は私の作った二つの後の句を紹介してくださいました。
お聖人様はそれも良し 今一つと申され 「ゆさぶる心 いかにとどめん」と仰せになりました。
私のすべて心の中までお見通しかと思うと何とも冷や汗が流れ、懺悔の思いでいっぱいであります。
(注)よみしも・・・・もとは本のことです |
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1989年(平成元年)3月28日中日新聞に八房の梅の紹介記事が載りました。
一花八果の梅として知られる不破郡関ケ原町今須、聖蓮寺(三和永真住職)の県天然記念物・八房の梅が、暖冬その影響で例年より十五日も早く開花し、満開に近づいている。
八房の梅は、普通は一本のはずの雌しべが八本あり、一輪の花から八つの実が鈴なりになる珍しい品種。親鸞聖人のお手植えと伝えられるが、現存するのは二代目で樹齢三百年以上。 ・・・後略
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平成元年九月七日
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平成元年九月十六日
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私の母の見舞いに水谷先生 私の家に来てくださり その時にお聖人様より前の句「百歳の喜び受けし保ちらん」と頂きました。後の句は私の宿題となりましたが、結局九月二十八日に後の句をいただきました。嬉しいことでございます。
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平成二年九月十四日
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私は些細な事が原因である人に怒りを表してしまいました。その時お聖人様は水谷先生を介してこのように反省を促されました。
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平成二年十一月二十九日
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平成三年四月二十一日
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平成四年五月二十七日
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宗祖親鸞聖人様より賜る
仏恩抄の中のお聖人様のお言葉をいただけない人のあるのは残念なことであります。
仏智不思議の身とはなれ
このお言葉大切です。
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私は昨年(平成二年)専修課程を卒業させていただきましたので、今年は何とか得度を受けさせていただきたいと思いまして、願書をとりよせましたところ、法名をかけとのこと。
いろいろ思案しておりましたが、なかなかいい名前が浮かびません。
そこでお聖人様に授けていただけないものかと心に念じて水谷先生に電話しましたところ、ただ今お言葉をいただいているから少々待つようにとの事。
即頂戴できたのが
平成三年一月九日のことでございます。
恵 心 院 釈 聴 義
私の名前を一字入れ仏法は大事だ。
義をもってよく聴けよ そしてその心をもって恵み与えよというお言葉ではないでしょうか。
素晴らしいわ、三和さんの人生そのものの名前ですわと言って下さり喜んで下さいました。
私にとっても何ともこの上ない名前をいただけたものと喜んでおります。
名前に恥じないように更に精進させていただかねばなりません。
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ともしびとは宗祖親鸞聖人様は慈悲の父母と申された、とのことです(高僧和讃)には釈迦弥陀は慈悲の父母とあります。
平成三年三月二十八日水谷先生宅にて、私の妻と三人で現世の苦しみや宗教の話をしておりました。
いつものように先生が右手を私の背中にあてられますと宗祖親鸞聖人様が出て下さり、その日はお聖人様がご自身のうしろ姿を見せて下さり、左の句を下さいました。
お聖人様がうしろ姿を見せて下さったことについて先生はお聖人様の頭の型がとても印象的でしたと申されました。
「私はここにおるぞ、見ておるぞ、聞いておるぞ」と先生を介してお知らせ下さるのであると思います。
このことを疑う人はいまだ仏智の不思議を了知しない人であります。
宗祖親鸞聖人
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長々と引用してまいりましたが、まだまだこれから続きますので、今回はここまでにしたいと思います。
私も何度となく「仏恩抄」を拝見させて頂いており、つど感動と感謝の念でいっぱいです。
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