日野振作先生とのご縁


日野振作先生は仏教学院でお世話になりました。

私は先生をご尊敬申し上げております。

先生は本願寺を代表される有識者のおひとりであり、皆さんから尊敬されておられます。

先生の著書「七祖教義大綱」「正信念仏偈講讃」読まさせていただいております。

大変わかりやすく、すばらしいお聖教であります。

謹んで先生に仏恩抄を送らせていただきました。

先生はご芳書と共に「本願と名号」「信心正因称名報恩」を送って下さいました。

大変有り難いことでございます。

謹んで仏恩抄に入れさせていただきました。 合掌
 
      恵心院釈聴義


 
こうして三和先生は確かな法城を守る方々の著作を吟味され、かつ先生方の許可を得て、ご自分の「仏恩抄」に引用されたのです。

その著書を全てここでご紹介するわけにはいきませんが、次第に明らかにしたいと思います。


 平成五年五月二十七日
  宗祖親鸞聖人様より
             賜る

      水谷先生宅にて
 解きたもう
  計らい受けし
    善知識
共に学ばん  
     うつす心に

 

 原田双栄先生とのご縁

 
 原田双栄先生には大変お世話になっております。
 (平成二年の初めのころ先生は病気になられ半身不随になられましたが、幸いにそれほどひどくなく、すこしずつ回復され有り難く思っております)

仏教学院でお世話になりましてから、今日までご指導いただきました。

浄土真宗の最も大切な所を親切にご教示して下さり、誠に良く解らせていただきました。

多くの手紙を頂いています。

原田先生は宗祖親鸞聖人がご紹介下された先生と私は思っております。

仏教学院でお世話になっている時 先生のお話になる時間がございまして、先生がこの中で成就文の言える人はおられるかと、お尋ねになりました。

学院に入って間もなくのこともありだれも手を挙げる人がいないため、やむなく席を立ち弥陀の本願の十八願を申し上げると、先生は、それは弥陀の本願十八願だが成就文はと申されました。

<このとき実は私(志田)も側にいたのです 恥ずかしながら>

私はそれまで先生の話をボーっとして聞いていたらしく、しまったと思い、失礼しましたと申し上げ、成就文を申しました。

その時先生は声を高くして「今日は目連尊者か阿難尊者のような人が来ておると言われ、私はとんでもないお言葉に年甲斐もなく照れ臭く赤面したことを覚えています。

先生との最初の出会いでございました。

それ以来特別のごとくご指導をいただいているわけであります。

その後仏恩抄を送らせていただいた時も大変お喜び下さり、仏恩抄を仏前に供え、拝読させていただいたとお手紙をくださいました。

先生から見れば私は生徒でありますが、仏恩抄を仏のお言葉と受け取られた先生は、やはりただ人ではありません。

仏恩抄を真実と見抜く人は仏智の不思議を不思議と了知された人、すなわち本願の信心を得て、現正定聚、命終われば必ず浄土に往生して仏に成ることに定まった人のことであります。

如来から賜る信心の智慧によって真実を見せていただくのであります。

有り難うございます。合掌

南無阿弥陀仏  平成六年五月 

 
 
 
原田先生からのお手紙です。

 

 加茂仰順先生とのご縁


 
 南無阿弥陀仏

 平成五年十二月十四日に加茂仰順先生よりお手紙を頂きました。

仏恩抄を大変お喜びいただき私もとても嬉しくおもいました。

先生は仏智の不思議を不思議といただいてくださったわけでございます。

私のような未熟者で愚かな者が書かせていただいた仏恩抄でありますが、仏恩抄は畏れ多い事でありますが、

阿弥陀如来様 宗祖親鸞聖人様 八幡大菩薩様 水谷先生が協力してお作り下さったものです。

特に宗祖親鸞聖人様が前世の因縁により妄念のかたまりである私を救わんが為、また浄土真宗の発展の為、この仏恩抄をおつくり下されたものと思っております。

加茂仰順先生の書かれました著書を読ませていただき、まさしく仏智の不思議を了知されておられる先生とご尊敬申し上げ、仏恩抄を慎んで送らせていただいたわけでございました。

以心伝心と申しますが有り難いことでありました。

龍谷大学、仏教学院、本願寺の先生方から感謝や喜びのお手紙、励ましのお言葉をいただいておりますが、このたびは加茂仰順先生にお願いし、先生のお手紙を仏恩抄の中に入れさせていただくことになりました。

このことは仏恩抄がまさしく仏の真実であり、仏智の不思議を現わされた仏のお言葉であることを、この仏恩抄を読んでいただく方に知って頂く為であります。

仏恩抄を真に仏のお言葉といただかれた加茂仰順先生をはじめ、他の先生方こそ、ただ人ではありません。

このように真実を真実と見抜く力を頂かれた先生方がおいでになることは浄土真宗の発展にとってまことに頼もしいことであります。

この先生方こそ国宝というべきで、ご尊敬申し上げているわけでございます。

この真実を真実と見抜く力は、仏のお慈悲によって如来の方から与えられます。

人は無明でありますがほとけの光明(智慧)に照らされて育てられ、まこと御信心をいただく(信心は如来からたまわる)人間になってこそ真実を見抜く力を頂ける人間にならせていただくのであろうと思います。

仏法を学んでいても名利を求めている人はやはり真実は見えてきません。

仏恩抄を批判されるような方は如来の加威力(威神力)廣慧力(本願力)が加わってくださらないために真実は見えてきません。

いまだ仏の力をいただいておらないからであります。

そういう僧侶は法話をされても、ただ仏語を並べて話すだけで信心を得ておられない為、真実こちらに伝わってきません。

仏智の不思議をを不思議と了知させていただく僧侶になることが何より大事なことで重要であろうと存じます。

(法話をする人は話の上手下手が大事ではなく、その法話をする人が信心を得ておる人かどうかが重要なのです)

まことに形ばかりの仏教に成り下がり葬式法事にあけくれている現状は憂うべきであると、ある先生が申されたことがございます。

命をかけて真に道を求めることが僧侶として大いに大切なことであることを宗祖親鸞聖人様も教えておられます。

宗祖親鸞聖人様のお嘆きは私たちの想像以上のものであろうと時々思っておりますが私自身宗祖親鸞聖人様の期待に応えられない仏弟子としての貧弱、我が身の姿を思う時、誠に申し訳なく思うばかりでございす。

どうぞ各寺のご住職、先生方の仏法にかける情熱と発奮を期待したいと存じます。

そうでなければ地獄の道を行くことになります。

宗祖親鸞聖人様から平成六年二月八日

「もろびとに まかねばならぬ よきたねを」

水谷先生を介してお言葉をくださいました。

平成六年四月二十四日(水谷先生を介して)
宗祖親鸞聖人様より賜りました。
 
   満ち足りて
  心ゆたけく
    ゆき路の
聞法の道
 たゆむことなく
 
加茂仰順先生に最初に仏恩抄ををおおくりしたと時のご返事が十二月十四日付けの手紙です。

また、図書館に保存するとのことでございましたので仏恩抄を製本し、お手紙を使わせていただくことの了解を求めた時のご返事が一月二十一日付けのお手紙でございます。

仏のお言葉でありますので「美事な御宝」(この一言誠に有り難いお言葉でございます)まさしく浄土真宗の道標、お聖人様の道案内のお言葉、先生の申されたお宝そのものです。

私もいただいて拝読しております。

仏縁あってこの仏恩抄を読まれる方は決して粗末にしないでください。

加茂仰順先生には大変恐縮でございますが、浄土真宗発展の為、先生のご厚意に甘え、お手紙を挿入させていただきます。

     


 
また、仏教学院でお世話になりました原田双栄先生には今日まで色々とご指導いただき、まことに有り難く感謝いたしております。

先生は病気になられ今は静養中でありますが宗祖親鸞聖人様の真実の教えを伝えて下さる先生のような立派な方はまさしく国宝と思っておりますので、少しでもこの世にとどまって法を伝えていただきたく、元気になって下さることを心より願っております。

それで私の店の薬をお布施させていただいております。

先生はその薬のお陰で大分元気になれたと喜ばれ、今、近いうちに本を出版できるように少しずつ書いているからとお手紙をくださいました。

先生は「世話になっている御礼は仏の法を皆さんにしっかりお伝えすることによって」と申されました。

私の願いもそこにあるのですから仏弟子として兄弟の仲、以心伝心、有難いことであります。

この立派な願いも如来から賜る心です。
仏の法をお伝えするものは皆兄弟、このように幸せなことは他にはありません。

世の中には異安心が氾濫し、とんでもない学者も多くいて人々に間違った教えを伝えます。

学者であっても決して油断があってはなりません。

教学の最高峰にいる学者であっても宗祖親鸞聖人様の教えに逆らう者には、蓮如上人様が「切りきざんでもあくかよあくかよ」と申された同罪の学者もいるのであります。

それが現実ですから加茂仰順先生や原田双栄先生その他宗祖親鸞聖人様の真実の教えをして下さる立派な先生方を私は国宝を申すのでございます。

どこまでもどこまでも仏弟子として真実を求める姿勢を断固としてお持ちいただきたく願いあげます。

お読みいただきほんとうに有り難うございました。 合掌

       平成六年六月一日