2013年12月4日

母の49日法要で・・・

葬式に参列するたびに、

故人はどのような人生を送ったのだろうか?

死して、どこへ行ったのだろうか?

故人は生前仏法を求めたのだろうか?などと考えながら、焼香していました。

それが他人様の時はその程度の考えでしたが、いざ自分の身内となるとそうもいきません。

27歳の時より縁あって仏法(浄土真宗本願寺派)を学んできました自分の母がこれからどこへ行くのかと思うと、何とかしなくては、と感じていました。

母は福島の原発事故で有名になった飯舘村在住の主婦でした。

計画的避難区域のため、仮設住宅住まいを余儀なくされました。

入居2年後運悪く転倒し、大腿骨頸部骨折というけがをしてしまい、入院することになりました。

本来病気がちで入退院を繰り返してはいたのですが、その都度、奇跡的に命は助かりました。

しかし今回ばかりは、手術することもできず、「痛い、痛い」と繰り返す毎日でした。

私は愛知県住まいですので、そうたびたび見舞いには行けませんでしたが、母を看病してくれた父や妹、叔母の話によれば、痛みもあり、譫妄が酷く、見ていられないほどだったと言います。

今年の9月22日(2013年)には見舞いに行く予定でした。

準備もしていた午前2時半ごろ、母逝去の電話が入りました。

そのまま寝もせず、妻と東京在住の次女と3人で福島へ直行しました。

引き続き葬儀となりました。

葬儀までは住職さんの仕事、この後49日(中陰)間は私の仕事と思いました。

なぜなら、母は仏法を知らずにこの世を去ったのです。

本来私が仏法を伝えなければならなかったのに、遠く離れていることを理由になかなか伝えきれなかったのが事実でした。

また、意識も薄れており、末期に念仏を伝えることすらできなかったのが後悔となりました。

そこでこの49日の間に、私がお勤めをするので、そばに来て一緒に仏法を聞いて欲しいと願い、毎日5時50分から30分間読経しました。

この時、漢文の読経だけでは母に伝わらない懸念がありましたので、和文に訳した分もしっかり声をだして読みました。
 
右の勤行集を4回に分けて読みました。

今まで午前5時50分に何かを始めるなんて言うのはあまりなかったことなので、多少つらいなとは思いましたが、早起きも49日間と思い、頑張ったつもりでした。

正座には自信があったつもりでしたが、次第に膝がi痛みだしてきましたので、最後の1週間は椅子に座って行いました。
  

浄土真宗聖典−勤行集− 大

著者:教学振興委員会 編


始めて40日くらいの時、近所の懇意にしていた奥様(60代で亡くなられた方)が、妻の夢に出てきて、「毎日お経を聞かせて頂いているよ」と言ってくれたそうです。

このことに意を強くし、さらに頑張る気持ちがおきました。

きっと母も聞いてくれているに違いない、頑張って聞いてくれと言い聞かせました。

また、阿弥陀様の本願をいただいてくれ、信心をいただいてくれ、と言う思いでいっぱいでした。

その後、私の都合で49日の法要は11月4日に行いました。

その席上、私は母に心の中で、もし今までのお勤めで、阿弥陀様のお慈悲が判ったなら、なにか知らせを出してくれと願いつつ、式を進行させていきました。

次の話は後から知ったのですが、妹の親友のEさんの話です。

「法要の時、不埒にもわたし、眠くなってしまったの。眠くて眠くて、どうしようもなく、ついついうとうととしてしまったの。その時ふと祭壇のお坊さんの方を見ると、金の船に乗ったばあちゃんが上に登って行く姿を見たの」

この話をお墓参りの時に妻に話し、私にも耳に入れたと妻は言っているのですが、その時は式の進行にばかり気がいっていて、十分に聞いていなかったのです。
正直、Eさんが母の夢を見た、といことくらいにしか認識していなかったのです。

しかし愛知に帰ってきてから、再度妻からその話を聞かされて、あっと驚いたのです。
金の船とは「阿弥陀様の願船」に他ならないではないか、「ああ、母は阿弥陀様の浄土へ、連れて行っていただいたんだな」と感じました。

そして報恩の念仏が次々と出てきました。

有難いなーと思い、嗚咽が止まりませんでした。

親鸞聖人の主著「教行信証」総序の文に

「ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、
・・・」

とありますが、ひしひしと思い浮かべられました。

この話を大恩ある岐阜県の三和先生(私に仏法を伝えてくださった師匠)に伝えたところ、

「私も絵空事とは思っておりません。浄土へ行けるといいですね」とコメントをいただきました。

三和先生は真の信心をいただいた方で、常には辛口で、真の信心については容赦のない方です。

この言葉は有難くいただきました。

今回行った勤行は自力聖道門でいう追善供養でも功徳の廻向でもありません。

あくまで、母が本願力に出会うための勤行です。

母を偲ぶとともに自らも御教えを頂いている思いで行っています。

浄土真宗の教えには自力廻向はありませんものね。

お勤めをしている間、御教えの有難さに涙してしまいました。

何度味わっても嬉しさがこみ上げてまいります

私は昨年秋、法を喜ぶ身とさせていただいています。

信心を求めて30年、2種深信の深い味わいを頂いたことでした。



追記 2018年11月3日

昨年、縁により久保光雲さまのサイトに出会いました。

そのサイトではご自分の修士論文や博士論文を公開されています。

その修士論文の中に「浄土宗 西山派 証空上人」の論文が載っていました。

たまたま私の父母の往生に関するテーマと重なり、親子の縁について三業が重なるという部分が出て居ましたので、引用させていただきます。

   

 前略
 次に廻向とは、廻り向かう心であり、阿弥陀仏は万行を成して、衆生に向かい、衆生は仏の行体に向かうとき、行体無二となる。そこで、虚仮雑毒、諸行、専雑二行は、仏が兆載永劫に万善万行成就したので、差別なしと随喜する。そして、阿弥陀仏の国に生まれようと順ずるところを、廻向発願心と言う。そして、證空はこの廻向発願心の意を得るのに、三つの随喜があることを述べる。

・一つには弥陀の六度万行の功徳はわれらの三業と差別なしと感得したことを随喜する。

・二つには差別ない三業が仏の三業と転じて、親近の功徳を具足することを随喜する。

・三つには身・口・意の世・出世の善根に随喜する。

 私達の三業は父母の三業になる故に父母も転じられて往生する、ということであり、これによって真実の孝養となる。なお父母の恩に世間の恩と出世の恩がある

出世の恩とは、この世に生まれるために父母の体の縁なくしては、生まれることのなかったことをいう。世間の恩とは労苦を厭わずお育てを受けたことをいう。私達は無始以来恩を受けながらも、真実の老孝を尽くすことなく流転してきた。しかし今生において無生法忍を得たことで、父母の恩に報いることが出来る。そのことを随喜して孝順の心を起こすことを回向発願心という。

 ここにおいて證空は『心地観経』『四分律』『大縁経』などを引用し、父母の恩の深さを詳しく説示している。

 ここで證空が父母について長く文章をさいているのはなぜであろうか。この世で父母の性を受けずに生まれてきた者はない。具体的な父母の恩を知り、またその苦労にもかかわらず、常に真実の孝行に尽くさずにきた我が身であることは、凡夫にとって深く内省させられるところであろう。自身の罪悪が父母との関係を思い起こすことによって、凡夫の自覚を強く呼び起こすこととなる。

 さらに證空は、『自筆鈔』において父母の恩徳についてこう記す。

   勿念父、勿念母、トイハ、父母ハ世間恩徳ノ極ナリ。恒沙ノ身ヲ捨テヽモ報ズベシト云フ。然ルニ、 コヽニシテ道ヲ修スルニハ、其ノ難多キ故ニ自ラノ資縁ナホ具シ難シ。況ンヤ、父母ニ於テ水菽ノ勤致シ難キ故ニ、父母ノ事思ハザル時アルベカラズ。今淨土門ノ心ハ、孝養ノ心アレバ其ノ勤至ラズト云フトモ、一生ノ終、臨終ノ夕ニ蓮胎ニ託生シヌレバ、生々世々ノ恩所一々ニ報謝スベシ。故ニ、今生ノ間是ヲ思ヒ煩フ事ナカレト云フ心ナリ。(『西山叢書』四・一五一頁)

 父母は世間の恩徳の極まりであり、身を捨てても報ずべしというけれど、道を修することは、難しい。しかし、浄土門に帰すれば、恩を報ずることが出来るので、思い煩うことはない、という。

そして『五段鈔』の第三の最後において三心についてこう述べる。

是の如く三心と分別すれども、帰命の一心と極まる。此の心を摂取するを阿弥陀仏と云ふ。

( 『西山上人短篇鈔物集』一七一頁)

後略

 
 
このように父母への恩を返すために最善の道はまず自らが信心を賜ることです。

そうなれば西山上人の言うように父母も救けることができるのです。

私が感じたことをすでに仏書では証明されていたことに驚きを隠せませんでした。


父はその後4年後に逝去しましたが、その前に母の霊夢を見ています。

それは母の1周忌の時の話です。

1周忌の3日前に朝方母の夢を見たと言っていました。

その夢によると、母が仏さまと同じ姿で現れたとのことです。

「ああ、こんなこともあるんだなー」と思ったそうです。

母が父に心配して欲しくなくて夢に現れ、しかもすでに浄土往生して仏に成っているよ、と言いたかったのでしょう。

また、父を導くつもりだったのでしょうね。

父の往生も間違いないんだろうなとその時は思っていました。