2014年10月23日 大乗仏教は本当にお釈迦様の教えなのか?・・・1 これは昔から仏教を学び始めると考えてしまう問題です。 歴史的に釈尊は経典を残していません。 釈尊滅後、弟子のマハーカッサバらが中心となって、お釈迦様の教えが間違って伝わらないように、結集したのがお経の始まりです。 その時、常随の弟子であったアナン尊者が最も近くで常にお釈迦様の教えを聞いていたので、アナン尊者が語ると言う形をとっています。 ですからお経の初めに必ず「如是我聞(私はこのように聞きました)」と書かれています。 さてこのお経ですが、現存しているのは阿含経を始めとして、原始仏教経典が殆どで、大乗仏教はありませんでした。 ですから、このところをもって大乗仏教はお釈迦様の教えではないと主張される方もおありです。 さて、先日当院にある女性の寺族の方がお越しになられました。 この方は子供のころから死んだらどうなるのかといった形而上学の問題を気にされていました。 当時テレビなどで「あなたの知らない世界」と言うような番組が評判になっていたこともあって、非常に興味を持っていたそうです。 また、憑依現象が起こったらどうしようといういらぬ心配もされたそうです。 ある時、霊界の本を読んでいると「般若心経」を唱えるとたいていの場合は助かると書いてあるのを見つけ、大変喜んだそうです。 それからは般若心経を唱えるように心がけたそうですが、また、ある時霊界の本を読んでいると「・・・般若心経くらいではわし(憑依霊)は負けん・・・」というような件を読み、更に不安になったとか。 それで色々仏教を調べているうちに「南無阿弥陀仏を唱えればすべてに勝る」というような文言にぶつかり、「これだ!」と腑に落ち、合点したそうです。 その後南無阿弥陀仏の勉強をされているうちに浄土真宗の教えに惹かれ、ますます念仏が好きになったそうです。 縁と言うのは、本当に必然なのでしょうか、彼女は成人すると浄土真宗のお寺に入ることになったというのです。 勿論坊守としてです。 こんなにも佛縁のある方は珍しいかもしれません。 彼女の夫は別院の職員として奉職されていますので、彼女自身は夫の名代としてお寺の世話をすることになります。 そうこうしているうちに、門徒やその知り合いの方からいろいろな相談を受けることになりました。 その中には末期の癌で死を目前に控えている方からの、悲痛な相談もあります。 死んだら自分はどうなるのかと言うことを真剣に聞いてきます。 彼女なりに必死に文献を繙きながら語ったということです。 語りながらも自分はまだ勉強不足、こんな自分の説教で良いのかと考え、真剣に信心獲得目指して勉強し始めました。 その時、冒頭の問題が首をもたげたのでした。 その質問を、研修中に講師の先生に伺ったところ、「そこからは信仰の問題です」といわれ不詳のまま過ごしていたとのことです。 何か証明が欲しかったのでしょう。 そこで私が母の49日法要の勤行の結果浄土へ参らせていただいた話をしたところ、すっかり納得され、「今日はすごい真実を頂きました。安心して門徒の方に説いていけます」と話されました。 もっとも大乗仏教経典は仏教かと言う質問にはこのような回答も考えられます。 毒矢が刺さったとしよう。 その時、この毒矢は、どこから飛んできて、どんな成分の毒か、はたまた、誰が矢を射ったのか、分からぬうちは抜いてはならぬ、と言う話に似ている。 凡夫がただちに助かる仏法は、いや宗教はあるのですか? 大乗仏教開始以来連綿として受け継がれ(親鸞聖人からすれば7高祖)てきた教えです。 しかもどれほど多くの方が救われたかわからないほど素晴らしい教えです。 努々(ゆめゆめ)疑うなかれ! |
2014年10月29日 大乗仏教は本当にお釈迦様の教えなのか?・・・2 仏教とは仏の教えである。 仏の教えとは仏になる教えである。 仏とは苦悩に満ちた六道を解脱することである。 仏道を学び始めた時必ずと言っていいほど、現代人は仏教の歴史で疑問を持ちます。 前回書いた大乗仏教は仏教か?と言う問題です。 前回はこの問題を信仰の問題として書き、かつ個人的な体験から真実であることを書いてきました。 それでも、そんなことは空想の世界、絵空事だと言われればその通りに思う方も多くおられるかもしれません。 そこで大無量寿経の成立年代を調べてみると、本願寺派僧侶信楽俊麿氏によれば釈尊滅後五〇〇年ころには成立していただろう、編纂者は不明と言うことになっています。 なぜ不明なのか、その回答は、もし編纂者が釈尊滅後五〇〇年後の人物名が記録されれば、仏経典としての価値を失うからでしょう。 でも誰かが編纂しなければ経典として残らなかったはずです。 また、どうして原始仏典にのっていない、新しい発想の経典を、どのようにして作り上げたのだろうという疑問も残ります。 実際私も仏法を学び始めた時、この問題を考えては悩みました。 悩んでも回答が出ないのですが、現実に浄土真宗は人々を救い続けているのです。 この事実は何ものにも替えられないものです。 ただ、大胆な発想をすることはできます。 ただし、これは現在の各仏教宗派のれっきとした僧侶の方は言いにくいことでしょうから、門外漢の私の酔狂として聞いてください。 真宗以外の仏教各宗派では修行しますが、その中に三昧と言う行が出てきます。 禅や瞑想ともいわれます。 三昧とは瞑想中に仏の世界と交信することです。 いわゆる仏の声を聞いたり、仏と会話したり、仏の世界に自らの魂が飛んでいくことです。 これができる方を三昧を得た人といいます。 浄土真宗七祖のなかでは第五祖の善導大師様がそうです。 善導大師は自分の師である道綽禅師の冒した罪を三昧中に喝破されております。 何はともあれ、三昧を得ていた方が、仏の世界に飛び込んだ時に見てきた世界を、現実の世界に合わせたように表現されたのではないかと考えています。 というのも如是我聞の後に釈尊の話を聞く人々の名前がたくさん並んで出てきます。 大無量寿経でも・・・大比丘の衆、万二千人ともなりき。一切は大聖にして神通に達せり。その名をば・・・としてたくさんの当時の釈尊の弟子たちの名前が出てきます。 そのあとで・・・また大乗のもろもろの菩薩ともなりき・・・・と続き普賢菩薩を始めたくさんの菩薩の名が連なります。 原始仏典にも聞く人々の名前が出てきますが、菩薩様の名前は出てきません。 そう思うとこの場所は娑婆世界ではなく、浄土の世界の道場ではないかと思えてきます。 というのも釈尊在世中のお弟子の方々も仏滅後五〇〇年と言えば、既に亡くなっておられるはずです。 そうするとどこでこの結集はおこなわれたのかと言うと、浄土と言う答えがおのずと出てまいるのではないでしょうか。 そう思えばそこに三昧の力で言っていた方がだれであろうと本当の結集だったと言えるのではないかと思います。 しかも、経典には一部のミスもなく、衆生を救わんとする緻密な計画が書かれています。 どうしてこんな仕事を煩悩まみれの人間に出来ましょうか、いや書くことができますでしょうか。 どんな素晴らしい作家といえど無理なのではないでしょうか。 そう思えば仏教とはなんと計り知れないほど大きな世界観を持っていることかと思います。 我々人間界という不自由な三次元の世界観を、はるかに超えた世界からの教えと言うことになります。 実は釈尊はその世界のことを語っているのですが、普通の方には解らないのです。 唯仏与仏といって、三昧における仏同士でしか、理解できないのかもしれません。 アリの世界から人間の世界は判らないのと同様だと思います。 それゆえ、ただただ信ずるほかは無いのかも知れません。 |
2014年10月30日 大乗仏教は本当にお釈迦様の教えなのか?・・・3 このテーマも3回目です。 今回は信仰として、大乗仏教をお釈迦様の教えを頂いておられる宗祖親鸞聖人のお言葉を聞いてみましょう。 真宗の読本として有名な歎異抄の第2条を繙いてみましょう。 歎異抄第2条は親鸞聖人が関東から帰京されたあと、関東地方に起こった異安心の問題解決の為、門弟たちがこぞって、念仏が本当に極楽往生の為の種であるかどうか、伺に来た時の、聖人の応対です。 おのおのの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。 しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておはしてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。 もししからば、南都北嶺にもゆゆしき学生(がくしょう)たちおほく座(おわ)せられて候ふなれば、かのひとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。 親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひと(法然聖人)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。 念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべらるらん、総じてもつて存知せざるなり。 たとひ法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。 そのゆえは、自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。 いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。 弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。 仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず。 善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。 法然の仰せまことならば、親鸞が申すむね、またもつてむなしからず候ふか。 詮ぜるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。 このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりと云々。 この第2条は私ももっとも好きな文章の一つです。 30代のころから第2条を暗記しては、どこでも繰り返し暗唱したものです。 信心や信仰とはまずその師匠を徹底的に信じることから始まるのかもしれませんね。 私の信仰も三和先生をまことの信心者として信じたことが始まりでした。 ですから、親鸞聖人の法然聖人にたいする信じ方が、ここまで徹底すると、大無量寿経が仏教であろうがなかろうが、命の解決には関係無い気がします。 信心や信仰とは向こうからくるものです。 阿弥陀様の本願力ゆえ、仏心が私の心の裡に入って来るものなのです。 それゆえ私が信じる必要もなく、私が信じるのでもなく、疑いがないのが、信心と言うことになります。 仏教用語では感応道交といいます。 |
2018年10月24日 大乗仏教は本当に仏教か・・・・最終章 最近結論らしき情報をキャッチいたしました。 その前に私自身の考え方をしてみました。 王舎城の悲劇という話をご存知でしょうか。 お釈迦様が涅槃に入る前の事件です。 仏教史上最大のミステリーかもしれません。 この事件の前半が仏説観無量寿経(以後観経と表記)に、後半が涅槃経に説かれています。 この2経典の内、観経は浄土真宗の根本経典である3部経の一つです。 まず前半は事の次第が説かれていきます。 略して書きますと次のような話です。 王舎城には父王頻婆沙羅王と韋提希夫人の夫婦がありましたが、なかなか子供に恵まれませんでした。 そこで占い師に占わせると、山の仙人が亡くなれば、次の王子として生まれて来るという 占いが出ました。 しかし仙人の亡くなるのを待てず、家来に命じて殺してしまいます。 ほどなくして王子が産まれましたが、仙人の恨みを買っているので、王子を産むとき、高楼から地上に向かって、産み落としたとされています。 しかし、王子は死せず、小指を折ったのみで済みました。 その後韋提希夫人は後悔し、可愛がって育てたのでした。 太子の名前は阿闍世といい、後にお釈迦様の従弟である提婆達多と共に父王である頻婆沙羅王を幽閉してしまいます。 その時、母である韋提希夫人は幽閉されている夫の為に体をきれいに洗い、酥蜜を塗り、父王に食させていました。 その為、父王は生き長らえ、なかなか亡くなりませんでした。 その事情を知った阿闍世は母を捕え、これまた幽閉してしまいます。 このとき韋提希夫人はその運命を呪い、かつお釈迦様にどうして悪人である従弟がいるのかと泣きつきました。 この韋提希夫人は凡夫の代表として阿弥陀仏の救いの対象となります。 後半は涅槃経に移り、父王を殺した阿闍世王の為の救いの話となります。 父王を死に至らしめた結果、阿闍世王は後悔の念に冒され、体中に膿痂疹ができます。 熱も高く死にそうになります。 父を殺すということは仏教でいう五逆罪になります。 勿論地獄行きが決定していますが、この阿闍世を救わんがために、お釈迦様は涅槃に入らず、この時を待っていたと言います。 阿闍世を救わんがために月愛三昧という禅定に入り、阿闍世王を癒します。 そののち阿闍世はお釈迦様に導かれ仏教に帰依しました。 その後仏教守護の政治を敷きました。 さて、この王舎城の悲劇が事実なら、大乗仏教の経典である観経や涅槃経はすでにお釈迦様在世時代にすでに説かれたことになります。 たとえお釈迦様滅後500年経ってからの編纂だとしても、お釈迦様のお仕事だと言えます。 この点から考えると大乗仏教は本当に仏教であると考えられます。 最近この考え方を支持してくださる情報がありました。 ウエブ上で無料の仏教講座を開いてくださっている長南先生の「仏教ウエブ入門講座」に出ていましたので、引用させていただきます。 同じテーマを追っていた方がおられて嬉しい限りです。
既に小乗仏教経典に六波羅蜜が説かれていたのです。 更に小乗仏教の経典はパーリ語で書かれており、釈尊滅後1,000年後に編纂されています。 漢訳仏典はその500年も前ということになりますので大乗仏教も小乗仏教もほぼ同時期に進歩してきたのでしょう。 |