師匠との出会い・・・1

そもそも私が仏法を学ぶことになったのは、27歳のころに仕事で知り合えた先生から勧められたのがきっかけでした。

当時私は某製薬会社の社員として、薬局薬店周りのルートセールスをしていました。

この年1979年5月に岐阜県の三和薬局さんを初めて訪問致しました。

一般的に薬局薬店店主は白衣かカジュアルな格好をされているのですが、三和先生はワイシャツにネクタイ、背広姿と言う盛装をされており、私が常々訪問する店主とは少し違っていました。

公私の区別をしっかりされているなという印象でした。

初めての訪問なのにいきなり仏法の話をされました。

後で聞いた話ですが、いやなセールスを撃退するにはもっとも良い方法らしいです。

ところが私はこういった先生でも過去の実績から、仲良くならなければならないので、とにかく仏法の話を聞くことになりました。

聞く姿勢が真面目だったのか、先生は2時間近くも時間を取って下さいました。

聞く内容は今まで聞いたこともない浄土真宗の話でした。

勿論私と言えど、親鸞聖人のことは鎌倉仏教の始祖である位は知っていました。

しかし、浄土真宗が仏教の中でどの位置にあるのか、皆目見当がつきませんでした。
ただただ、頷くばかりの聴聞でした。

1時間もしたころ、先生は何を思ったのか、店の奥にある仏間に通してくださいました。

その仏間に上がる引き戸の所で、私が一歩仏間に入るなり、額縁がガターンと落ちる大きな音がしました。

先生も訝しがり、周りを見回しましたが、何も落ちてきませんし、なにも変わったことはありませんでした。

その瞬間私は直感しました。

私に憑いていた悪因縁(=悪業)が落ちたんだなと。

そのまま仏間で阿弥陀様にお参りし、さらに仏法の話を聞くことになりました。

そのころの先生の口癖に「志田さん、君は本当にいいところに来た。
私が長年苦労してようやく到達したところ、見所のみを知ることが出来るのだから」と仰っていただいていました。

これが私と仏法すなわち親鸞様と三和先生との出会いでした。

いったい何が起こったのか。
今までに宗教に関する方々との出会いは数多くありましたが、こんなに衝撃的な出会いはありませんでした。

しかも自分がこの身このままで、お釈迦様や阿弥陀様と同じ悟りの世界に入れるなんて、なんと素晴らしい教えなのだろうと感動しました。

しかしながら、浄土真宗とはなにか?

仏教とは何か?

この途方もない世界の探求が始まりました。

そしてこれが一生をかけた私の人生の目的だったのです。

詰まらない人生を生きてきた私が初めて人生の喜びを知る入り口となったのです。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏!
  
  師匠との出会い・・・2

大垣市での三和先生との出会いは私にとって人生最大の出来事に他なりません。

今思うとこの出会いが無ければただの凡夫の人生を送り、毎日が損得勘定の世界を彷徨っていたことでしょう。

もっともそれが今でも変わらないのは煩悩の故ですが。

この煩悩或る故の阿弥陀様が御苦労あればこそ、私の人生は意味のあるもの、人生の目的を達成したと言えるのですが。

それに至るまで30年もかかりました。

三和先生は常に仰っておられました

「仏法は剛健、力のあるうちに聞け。年取ってからでは肚に入りにくい。真剣に聞き始めてから、真実の信心を獲得するには2,30年はかかるぞ。」と。

しかるに真剣に聞くとは何か?

ここに若い人々の問題があります。

生きることに常にエネルギッシュでなんでもできる可能性をもった若者がどうして明日死ぬかもしれないなどと考えるでしょう。

頭でそのことが判っていても、心の底から、明日死ぬかもしれないなどと思えるでしょうか。

先生の店を訪問するたびにそのことを告げられました。

そして死後の世界について色々と話を聞く機会が増えていきました。

「後生の一大事とは、あなたの未来のことですよ。
現生よりもっと長い長い時間を過ごす死後の世界・来世は必ずある。
縁起の法則は厳しいぞ。
あなたの行った行為の結果は必ず貴方の身に振りかかってくるぞ。」


また、このころの先生はご自分もようやく本当の真宗の教えに出あわれ、仏法の勉強が楽しくてしょうがない時期でしたのでしょう。

ご自分が学んだことや親鸞聖人からの言葉を、私にまるで勉強した内容を復習するかのように話してくださいました。

ああ、そうそう、親鸞聖人の言葉と言うことを初めにお話ししなければならないようですね。

私と三和先生との出会いも、三和先生と親鸞聖人との出会いが無ければありえなかったのですから。


三和先生は私が訪問する前までは、真宗の異安心の先達さんに付かれ、必死に信心獲得の行を行っていたそうです。

その先達さんの行とは背中を叩きながら、まだ信心を頂かないか、まだか、と言いつつ、必死に信心獲得を迫るという、鬼気迫る行だったそうです。

何度か通っているうちに「これは本物ではない」と確信され先達さんの元を離れたということです。

その前後のことを三和先生の著書から拝見しましょう。

仏恩抄12項より

和光同塵は結縁のはじめ

私は昭和50年ごろに不思議な御縁である人にお会いすることができました。
その方というのは水谷○○様と申されまして、お年は五十才くらいの大変気品のある温かい感じのする女性でした。
人々は水谷○○様のことを先生と呼んでおられます。

先生は幼少の頃より色々と不思議なことを経験されました。

ある時は悪魔に殺され死ぬのではないかと思われたそうですが、梶屋八幡宮の大神さまと縁が深く 大神様が先生を守られ 育てられたとのことです。

そうして立派に成人され 幾十年 毎月一日十五日には大勢の方が梶屋八幡宮(岐阜県)に参拝され、そこで水谷先生は人々を導いておられます。

先生が八幡宮の大神さまとともに人々を導いておられる姿は それは 尊く立派なお姿です。

正義の御神仏を崇敬しなさい 間違った思いをしてはいけません、行いを慎みなさい、善因善果 悪因悪果 因果応報は実に大切な万事不変の真理ですよと教えられ 因果の理法と幸運とについてこのように話しておられます。

森羅万象は一日も停止することなく 或いは進み 或いは退き 或いは生れ 或いは死し、成敗・浮沈・苦楽・盛衰ありて 次から次へと変遷し 瞬時も止るところがない 抑もこれは如何なる理由に因るのであろうか これを三世因果の理法と説いている 因果の理法は現象界を一貫した犯すことのできぬ原則である。万事不変の真理である。

さて因果の法則とは何かと言えば 原因と結果のことで悪い原因があれば必ず悪い結果が生れる。

即ち善因善果 悪因悪果の因果応報のことである。

この因果の理法は過去現在未来と三世に亘って次から次へと相関連して 而も整然として一糸も乱れず 少しも間違うことがないのである。

蒔けば生え 蒔かねば生えぬ
善悪の人こそ知らぬ  種は正直

で なすびの種を蒔けば茄子、きうりの種を蒔けば胡瓜ができる 桜の木には桜の花 梅の木には梅の実が成る。

この判り切った因果の道理が解されぬ為に人々は応々(往往に)に過ちを起し 不幸に陥るのである と教えられます。

仏教では一切の現象はすべて因縁によってできあがったものであり、このようなものを有為法といいますので諸行とは、有為法ということであります。

諸行とは森羅万象のことで一切の現象を指しています。

ですからこのような一切の有為現象は常に生滅変化して瞬時といえども とどまることなく 少しも常住のものはない ということが諸行無常ということであります。

それでは一切の有為現象がなぜ生滅変化してきわまりないものかといえば それは原因(因)と条件(縁)とによって結果(果)として あるという いわゆる因縁所生なるものだからであります。(中央仏教学院 「仏教」より)

先生は又後生は必ずあるのですよ。 あなたの何代前かの先祖は、地獄に落ちておられますよ。又浄土に往生されていますよと教えられ、そのほか 大神、菩薩など人々を導かれ 助けておられます。

実に尊いお方です。

「和光同塵は結縁のはじめ」

この意味は佛菩薩が衆生を救済するために 本来の光即ち姿を かくし衆生の中に出現して いささかの縁を結んで 遂に本来の使命を果たすことの 意に用い 本地垂迹説を説明する。

ただ結縁の群類をして願海に引入せんとなり、仮に神と現れたまいた 御用向は縁なき衆生に佛縁を結んで終に他力不思議の本願を信ぜしめんが為なり。

先生は神仏とお話の出来る方でありまして 必要に応じて神仏とお話をなさり その言葉を伝えてくださるのです。

このことは先生に接し お世話になった者のみが経験できることなのです。

私たちのような凡人でないことは事実です。

先生のようなお方が人間界においでになることは 実に尊く 有難いことだと常々思っております。

私はある時京都の石清水八幡宮へ先生と数人の方と参拝した時 私は八幡大神様から歌をいただきました。

もろもろの
  苦難の道も
       遠かりし
いと神々の
  守りまつらむ


畏れ多いことですが ほんとうに嬉しかったです。

神様からお言葉を賜る歌を言霊と言うのだそうです。

八幡大神さまは尊い大神様で 伊勢に次ぐ第二の宗廟とまで仰がれた高い神格と強力無比な武神としての力強さを持っておられます。

・・・中略・・・

八幡大神様だけでなく、他の大神さまも守って下さることを教えてくださったのであります。

・・・中略・・・

私が深く仏法に帰依することをご存知の大神さまは、私を守るとおうせくだされたものとおもいます。
このことも前世からの因縁と深く感謝するものであります。

大神さを参拝をし 片方では ある浄土真宗の教えをされる寺へ法話を聴聞するために月に数度行きました。

3年ほど通ううちに宗祖親鸞聖人様の教えと違う 異安心であることを気づき やめることにしました。

それからしばらくの時がたって、またまた、不思議なことが起こりました。

「なんと宗祖親鸞聖人様が水谷先生を介して私にお言葉を下されたのです。」

・・・・後略

長々と引用いたしましたが、三和先生に宗祖親鸞聖人からどのようにしてお言葉が下されたのかを知ってほしいが為です。

この後三和先生は水谷先生を通して宗祖親鸞聖人から直接ご指導されることになります。

こういった話になるとオカルトっぽいとか、信じるに足りないという 批判がたくさん出てきます。

また、当の真宗を信仰される方からは、二心(ふたごころ)、異安心だなどと攻撃されかねませんが、あえて載せた次第は、仏教の本当の姿を知らせたいからです。

ともすれば明治時代以降、西洋哲学が流入して以来、仏教哲学のように思われている部分もあるからです。

仏教の教えは縁起の法を説いているのですが、現生の科学と迎合する学者さんもおいでになるからです。

昨今では、そのように仏教をとらえた方が現代的と思われかねないのです。

しかし考えてみてください。

宗教とは死後の世界を説いてくれるから宗教なので、もし現在の自分の境遇を良くするだけのものなら 道徳だけで良くなります。

現在の真宗本山でも、こういった奇蹟をあまり表に出さないようにしているようです。

しかし三和先生が親鸞聖人から頂いた言葉のほとんどは真宗経典の中からですので決して異端ではなく、真に信心を頂いている 本学の先生からのお手紙も 一緒に添付されています。

と、今のところは添えておきます。

私が出会ったころの三和先生はちょうど親鸞聖人からお言葉を頂き始めたころでしたので、私にも何度となくその話をしてくださいました。

思い出に残る所を三和先生の著書を拝見しながら書いていきましょう。


この後続けて記事を書くことができずにいましたが、ようやく始めることにしました。

この続きは「仏恩抄は現代の歎異抄」に引き継いでいきます。

その折、先生の著書の引用がダブってしまいましたが、文脈上お許しください。

この記事のすぐ下です。