世界一の幸せ者


たまたま行信(ぎょうしん)を獲ば、遠く宿縁を慶べ。

もしまたこのたび疑網(ぎもう)に覆蔽せられば、
かへってまた曠劫(こうごう)を経歴せん。


このご文は親鸞聖人の主著である教行信証の総序にあります。

この御文の前には「ああ、弘誓の強縁、多生にも値(もうあ)ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし」とあります。

またこの御文の後には「誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ」と続きます。

浄土真宗のご開山聖人のみ教えの主体となる教行信証はこのようなとても素晴らしい宝石のような御文にあふれています。

その究極のみ教えは、私たち人間の悩みの元である煩悩を断絶せずして、そのまま仏に成らせて戴く教えです。

何と素晴らしい教えでしょうか。

このみ教えを27才の時 私は 師匠から伺ったのです。

そして浄土真宗の信心を獲させて頂く為に、聴聞を繰り返しました。

しかし、その道は大変難しいとしか言えませんでした。

信心を得たと思えば、自力の信で、2,3日でしぼんでしまうような信心でした。

誰でも平等にお救いくださるのが仏さまではないのかと、悩んだことが何度も何度もありました。

ところで一般的には念仏を称えるだけで助かる 浄土門は とても簡単ではないかと 言いますが、しかしそんなに簡単ではありません。

無量寿経にも「往き易くして人なし」とまで言われているほど、ある意味、難しいのです。

正信偈依経段の最後に
弥陀佛本願念仏 邪見憍慢悪衆生 信楽受持甚以難 難中之難無過斯
(弥陀佛の本願念仏は、邪見・憍慢の悪衆生、信楽受持すること、はなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。)
とありますように、阿弥陀様の本願を信じることは難しいのです。

例えば、仏教を聞いたこともない方に「阿弥陀様が念仏称えたら救うぞ」と僧侶が話したとしたら、「フーン!」くらいの反応はあるでしょう。

しかし僧侶でもない私が話のはずみで同じことを話しても、そんなうまい話があるわけがない、などと鬱陶しがられます。

現実にある50代の女性の方に、たまたま仏法の話をしていて、私は次の世には仏に成れるんですよ、と話したところ、「自分で言うかな?」との反応でした。

危ない、危ない、仏縁の少ない方にこんな大事な話をして、疑われでもしたら彼女を地獄に落としかねないところでした。

私自身、信心を頂くとき、とても大変な思いをしました。

地獄を目前にしたような苦しい経験をしました。

その時のことを思い出すと、二度と同じ苦しみを味わいたいとは思いません。

そのため、皆さんもこぞって信心を得てくださいとは言いきれないのですが、先に信心を得させていただいた人間として、この信心を頂いたものは世界一の幸せ者だと言われています。

求道は大変ですが、世界一の幸せ者になりたければ、仏法(=浄土真宗)の教えを聞いてみてください。


この画像は現在(平成30年)学んでいる本願寺派名古屋別院です。
 

中央仏教学院 通信講座 専修課程 2年生です。

信心得たと言ってもそれで終わりではありません。

「自信・教人信」の教人信が残っています。

間違った伝え方をしないように、再度勉強しています。

 
申し遅れました。

私は愛知県蟹江町でカイロプラクティック整体業を営んでいる志田と申します。
昭和29年生まれです。

縁あって27歳の時に浄土真宗と巡り合いまして、30数年たちます。

その時の善知識が三和先生です。
 
正しい浄土真宗の教えを伝えられている方です。

詳しくは記事をご覧ください。

メールアドレス shida_chiro@ybb.ne.jp

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