和光同塵は結縁のはじめ
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左の画像は三和先生が最初に頂いた和歌です。
最初は親鸞聖人ではなく仏法を守護される八幡大神様からでした。
そしてこれから沢山の言葉を頂くこととなるのです。
以下、しばらく先生の著書「仏恩抄」からその辺の事情を伺ってみましょう。 |
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私は |
昭和50年ころに不思議な御縁である人にお会いすることができました。
その方というのは水谷うめを様ともうされまして お年は五十才くらいの大変気品のある温かい感じのする女性でした。
人々は水谷うめを様のことを先生とよんでおられます。
先生は幼少のころより色々と不思議なことを経験されました。
あるときは悪魔に殺され、死ぬのではないかと思われたそうですが、梶屋八幡宮の大神様と縁が深く、大神様が先生を守られ育てられたとのことです。
そうして立派に成人され幾十年 毎月一日十五日には多勢の方が梶屋八幡宮(岐阜県海津町)に参拝され、そこで水谷先生は人々を導いておられます。
先生が八幡宮の大神様と共に人々を導いておられる様はそれは尊く立派なお姿です。
正義の御神仏を崇敬しなさい 間違った思いをしてはいけません、行いを慎みなさい、
善因善果悪因悪果因果応報は実に大切な万事不変の真理ですよと教えられ 因果の理法と幸運とについてこのように話しておられます。
森羅万象は一日も停止することなく 或いは進み、或いは退き 或いは生まれ 或いは死し、成敗、浮沈苦楽盛衰ありて、次から次へと変遷し瞬時も止まるところがない。
抑もこれはいかなる理由に因るのであろうか。
これを三世因果の理法に依ると説いている。
因果の理法は現象界を一貫した犯すことのできぬ原則である。
さて因果の理法とは何かと言えば原因と結果のことで悪い原因があれば必ず悪い結果が生まれる。
即ち善因善果悪因悪果の因果応報のことである。
此の因果の理法は過去現在未来と三世に亘って次から次へと相関連して而も整然として一糸も乱れず、少しもまちがうことがないのである。
蒔けば生え 蒔かねば生えぬ
善悪の人こそ知らぬ種は正直
でなすびの種を蒔けば茄子、きうりの種を蒔けば胡瓜ができる 桜の木には桜の花 梅の木には梅の実が成る
このわかり切った因果の道理が解されぬ為に人々は応々に過ちを起こし不幸に陥るのであると教えられます。
仏教では一切の現象は全て因縁によって出来上がったものであり、このようなものを有為法といいますので諸行とは有為法ということであります。
諸行とは森羅万象のことで一切の現象を指しています。
ですからこのような一切の有為現象は常に生滅変化して瞬時といえどもとどまることなく少しも常住のものはないということが諸行無常ということであります。
それでは一切の有為現象がなぜ生滅変化してきわまりないのかと言えばそれは原因(因)と条件(縁)とによって結果(果)としてあるといういわゆる因縁所生なるものだからであります。
(中央仏教学院「仏教」より)
先生はまた後生はかならずあるのですよ。
あなたの何代前の御先祖は地獄に落ちておられますよ。
また、浄土に往生されていますよと教えられ、そのほか大神、菩薩など人々を導かれるのを助けておられます。
実に尊いお方です。
「和光同塵は結縁のはじめ」
この意味は仏菩薩が衆生を救済するために本来の光 即ち姿をかくし 衆生の中に出現して些かの縁を結んで遂に本来の使命をはたすことの意に用い 本地垂迹説を説明する。
ただ、結縁の群類をして願海に引入せんとなり、仮に神と現れたまひた御用向きは縁なき衆生に仏縁を結んで、終に他力不思議の本願を信ぜしめんが為なり。
先生は神仏とお話のできる方でありまして必要に応じて神仏とお話をなさり そのお言葉を伝えてくださるのです。
このことは先生に接しお世話になった者のみが経験のできることなのです。
たちのような凡人でないことは事実です。
先生のようなお方が人間界においでになることは実に尊く有難いことだと常々思っております。
私はある時京都の石清水八幡宮へ先生と数人の方と参拝したとき 私は 八幡大神様から歌を頂きました。
畏れおおいことですが本当に嬉しかったです。
神様からお言葉を賜る歌を言霊というのだそうです。
八幡大神さまは尊い大神様で伊勢に次ぐ第二の宗廟とまで仰がれた高い神格と強力無比な武神としての力強さを持っておられます。
有難いお歌を頂きましたが、その時水谷先生は「どういうことか分かりますか」ともうされるから 私は答えました。
「色々と苦難が出て来るけれどもお守りくださることでしょう」と
その通りですが、八幡大神様が先生から教えてやってください、とのお話あり、
色々と苦難が出て来るけれども、その苦難をみな払いのけて大神様が守ってくださるから心配しないようにと、親切心あふれる大神様からの注釈付きの有り難いお言葉でした。
八幡様だけでなく 他の大神様も守ってくださることを教えてくださったのであります。
中略
長い引用でしたが、三和先生は水谷先生との出会いで神仏から、水谷先生を通してでありますが、お言葉を頂けることになったのです。
この後不思議な体験を何度もされました。
それらの体験は凡夫の頭では理解できないことだと述懐されています。
・・・私が深く仏法に帰依することをご存知の大神様は私を守るとおうせくだされたものと思います。
このことも前世からの因縁と深く感謝するものであります。
大神様に参拝をし、片方ではある浄土真宗の教えをされる寺へ法話を聴聞する為に月に数度行きました。
三年ほど通ううちに宗祖親鸞聖人様の教えと違う異安心であることに気付き、やめることにしました。
それからしばらくの時がたって、またまた不思議なことが起こりました。
「なんと宗祖親鸞聖人様が水谷うめお先生を介して私にお言葉を下されたのです」
仏に誓って嘘を申すわけではありません。
今の私に名利の世界は必要ないのですから、このことは、あくまで私一人、お言葉を頂戴しただけでは申し訳ない、わたしをお育てくださった、ご恩を感謝するとともに皆さんに、宗祖親鸞聖人様のお言葉を伝えて共に喜びたい。
自信教人信・難中転更難・大悲伝普化・真成報佛恩
このお言葉をに添って努力しなければ申し訳ないと思ったわけです。
中略
三和先生はとても仏縁の深い方です。
どんな事情で神仏からお言葉を頂けたのかはご理解いただけたと思います。
前回の記事の中で加茂先生が三和先生のことを「還相回向(一旦浄土へ往生されてからこの世界に再び生まれられた方)の方ですか」と思われたことが良く理解できることと思います。
さてこの続きを始めましょう。
どのような時にお聖人様が水谷先生を介してお言葉をくださったかと申しますと、水谷先生の娘さんが大垣市の市民病院へお産で入院されと時 私がお見舞い申し上げたところ、東玄関まで見送ってくださり、お話をしていますと、突然先生はびっくりした様子で
三和さん三和さんに親鸞聖人様が
「妄念妄執」といわれてます と申されました。
「はあ妄念妄執」そうですかと答えておりました。
突然のことなので、ただ、びっくりするばかりで考える余裕などなくて ただ感激でありました。
誠に誠に畏れ多いありがたすぎて もったいない事でありました。
その時はどのようなお言葉の意味か十分理解できなくて、家に帰り辞書で調べましたところ、私の私生活は妄念妄執 妄念(まよったおもひ間違った心をいふ) 妄執(心の迷いにより真実の価値なきもの固く執はれること)とありました。
全く情けない恥ずかしいことでありますが、私が最もご尊敬申し上げる宗祖聖人様からのお言葉 嬉し泣きしました。
このときから少しずつ真実の道に近づけるように努力が始まりました。
私生活を反省いたしますると思いますのに私は妄念の固まりのような人間でありました。
宗祖親鸞聖人様はそれから「約一年間 特に多く 水谷先生にお会いしている機会をみては、私が神仏のお言葉を聞くことができませんので、先生を介してお言葉を下されたのであります
私と三和先生との出会いはこのころだったようです。
次に宗祖聖人様から頂いたお言葉が
「世尊我一心」でした。
お聖教によって
「世尊我一心 帰命尽十方無碍光如来 願生安楽国」
天親菩薩のお言葉であること この意味を解せた時は嬉しかったですね。
三和先生は岐阜県関ケ原の聖蓮寺(宗祖親鸞聖人様の滞留あらせられた寺で八房の実=天然記念物指定)のすぐ下の家に生まれられました。
御先祖は聖蓮寺から分家した人だと聞いています。
宗祖聖人様のお陰で先祖の中には仏法に熱心なひとがおられたことを聞いています。
仏縁が深いということはどんな宝物を持っていることよりも素晴らしい有り難いことだと思わねばなりません。
小さい時から父母に連れられて寺にお詣りしました。
ある時水谷先生に関ケ原町今須の本家に来て頂きました。
日も暮れてきましたので海津町にある自宅へ遅らせて頂く為に
「先生まいりましょうか」と申し上げますと 先生は
「そうですね聖蓮寺もお詣りしたいけど、今日は残念だけれど またの機会に」と寺から百メートルくらいの石段の下から合掌されました。
ところが先生が申されるには
「阿弥陀様がお待ちしているからぜひ寺の方へ」とおっしゃってるから帰るわけに行きません。
私もお連れの女の方駒井様もびっくり、三人で寺の方へ石段を登っていきました。
寺の庭まで行くと奥さんがようこそと衣姿で迎えてくださいました。
そのまま阿弥陀如来様の前に座りお詣りしました。
その時先生は目を閉じて合掌され、しばらくたって「今阿弥陀如来さまからお歌を頂きました。奥さんに紙と書くものをお借りしてください」といわれさっそく書いてくださったのがこのお歌であります。
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阿弥陀如来様その時水谷先生に私と先生が前世親子の関係にあって、今の永真住職から十三代前が私で、その時の母上が水谷うめを先生であったと教えてくださいました。
実に不思議な縁で結ばれていたのです。
それからずっと後になって八幡大菩薩(八幡大神)様から先生を介して教えて頂いたのですが、私は前世・徳川家光であったと。
「聖蓮寺永真住職より十三代前、永西という僧で、1559年死亡し、1604年家光誕生」と教えて頂きました。
このようなことを書いてよいものかと考えましたが輪廻転生と申しますか、阿弥陀如来様と八幡大菩薩のお言葉でありますので真宗学にとっても大事なことと思い書かせていただきました。
そしてそのころ私は阿弥陀如来様に霊夢を見せて頂きました。
霊夢と申しますと、朝方私は夢の中で聖蓮寺へお詣りしますと、正面から戸を開けて大広間へ入ったすぐ右側に、奥さんが衣を着て「ようこそ」と挨拶をして下さり、入り口から2、3歩進んでから、如来様の方を見ると、阿弥陀如来様は片方の足をニョーと前に進むように出され、前の方に置いてある座布団を指さされ2、3度この上に座りなさいと手招きされるのです。
私は「はいはい」と頭をさげましたが、その時如来さまは言葉は出されませんでした。
そんなことがあってからは、お詣りするときは、必ず前に進み出て、座布団に座って合掌礼拝することにしております。
それから2年たって、今度は同じように夢の中で朝方聖蓮寺にお詣りしました。
寺の正面の入り口をあけて、お詣りしようとすると、同じく奥さんが「ようこそ」と衣を着て迎えてくださいました。
おそらく如来様は聖蓮寺であることを夢の中で印象づけようとされたのだと思います。
私はお詣りしようと思って正面を向いた時、正座した姿で畳のすぐ上を風のように右斜め前に引っ張られ、八っと思って、正面を見ると、目の前に畳の上に正座された阿弥陀如来様が黒の衣を着て、金色のお顔で座っておられました。
私は阿弥陀如来様の前に、如来様の膝が私の膝頭と接するくらいにして、如来様の目の前に座らせられました。
「阿弥陀様だ」と思って拝顔するなり、思わず如来様の膝の方へ目をやりました。
もう一度如来様のお顔を見たいと思ったのですが、どういうわけか恥ずかしいと思う気持ちからか、私の顔が上がらず如来様のお顔を見ることができませんでした。
結局赤ん坊が母親にあまえるようにそのまま如来様の胸にもたれて嬉し泣きをしておりました。
そして目が覚め夢であることに気づきました。
「阿弥陀様から夢を見せて頂くような時には、夢とはいえ、まさしく昼間のできごとのように、とてもはっきりしていて、目が覚め エっ 夢かと・・・夢であることに気付くのであります。」
阿弥陀如来様が、お前はこの世から私が守っておるぞ、後生の心配するな、と夢でお知らせ下されたのだと、思い出すたびに有り難く感謝しています。
教行證証の證巻に「阿弥陀如来は如より来生して報応化種々の身を示現す」等とあります。
また、そのことを仏法に縁ある人に話しては喜びをかみしめております。
仏縁の深いことを感謝しなくてはなりません。
長々と引用してきましたが、お読みいただきありがとうございます。
あなた様も余程仏縁の深い方なのでしょうね。
これは仏智不思議の世界の一旦なのです。
三和先生を通して私は仏智不思議の世界をまざまざと見せて頂き、教えて頂きました。
こんな縁を頂いた私も本当に幸せ者です。
それゆえ本当の信心を賜り、世界一の幸せ者に私もしていただこうと決心した次第でした。
それから30年
長かった私の求道もようやく信心を賜り、報恩感謝の毎日です。
今回は仏智不思議と信心ということについて書いてきました。
次回は三和先生の頂いたお言葉を書かせていただきます。
そしてその次は異端をを嘆く文章に移ります。
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